北湖さんの飯田圭織物語(その3・タンポポ)

さて、娘。でオリコン1位を取ったわけではあるが、その勢いをつける(?)ようにして娘。の中から新たなユニットが誕生した。その名は「タンポポ
メンバーで娘。のエースから離れた飯田と石黒(中澤はソロで活動を始めていた。)が選ばれ、あとは2期メンバーの3人の中から選び矢口が選ばれた。
デビューシングル「ラストキッス」はオリコン2位と上々の結果だった。
今でも私はタンポポの初期の曲を聴くことが多い。次の曲の「Motto」はかなりの大人路線でしたなあ。今のファンはこの曲を聴くことがあるのかわからないがc/wの「愛の唄」での今では考えられない路線が妙に好きでしたなあ。
私の世を忍ぶ仮の姿時の兄はそのころから私より娘。に目を向けるようになりまして、それが飯田圭織だったわけですな。で、その兄は名古屋の今は亡き生活倉庫でのMottoイベント、さらに「たんぽぽ」のイベントにも足を運ぶこととなるのであった。
なんと、タンポポの為に広島まで行くことに!忘れもしない1999年6月19日(カン!)
私はたんぽぽが出た頃(明日香が抜けた頃)に矢口党になっておりまして。兄と共に「ええい!電車でも車でも費用が同じなら2人で車でいくべ!」と車で広島まで行くことに。以降広島・紙屋町は広島に行く度に寄る場所となる。初の飯田さんとの握手はその広島。
その後で行ったあまんじゃくのお好み焼きは行く度に食べる思い出の味となったわけですなあ。
そして、石黒の脱退がわかった後の「聖なる鐘がひびく夜」のイベントを大阪・梅田HEATBEAT(現ON AIR OSAKA)で行われた。この時のミニライブは珠玉のライブでタンポポのすべてが出たすばらしい曲構成でした。そして、仮の姿時の兄の部屋には今でも石黒さんの返事のハガキがあり・・・そのイベントで渡したファンレターのものと思われる。
そして初代タンポポが終わった2000年1の月と7日兄弟ともにインフルエンザをおして見に行った大阪厚生年金会館ハロー!プロジェクトのコンサートも見ることが出来たのである。
私はアルバム「TANPOPO 1」で好きだったのは飯田さんのソロ「片思い」ここに飯田さんのイメージが詰まってるわけなんですなあ。ブレスが聴こえるのもまた一興で。
後のコンサートで2人タンポポで歌ったときのことが忘れられません。
そして、たんぽぽのトレカからつながった仲間が名古屋にいたのですが、今は連絡もつきません。彼は今、娘。を見てるのだろうか・・・
♪いつも 信じてる 両思い Every Days Every Night〜
さて、この続きは明日の講釈。