北湖さんの飯田圭織物語(その1・ASAYAN)

えー、初めて作ったカテゴリです。
私の方も無事に卒コンに立ち会えるということで、かおりんへの思いの丈を述べてみようかと。それを時代に分けて。
最初に。卒コンは黄色じゃなくて白のサイリウムとのことを書いてましたが。どうなの?
それでは本題。
 
えー。私は昔からASAYANを見ていたわけで、もちろん乱発オーディションとかも見てました。Say a Little PrayerのCDを買えず悔しい思いもしました。
そんな中で、「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」があったわけですな。
当初見ていたのは河村理沙(ある系の雑誌好きなので・・・)
で、安倍なつみは評判よかったのですが、私が目を向けたのは飯田圭織であった!(カン!)
なんとなく松たか子系のお嬢様系のルックスで、電池のカバーに写真が載ったほどをいう。しかし、いまいちロックボーカリストと言うと違ったわけですなあ。平家充代(みちよ)が受かったわけで。これで終わったかなあと思ったら新展開で中澤・石黒・飯田・安倍・福田でユニットを結成。「5日間で5万枚売ればデビュー」の企画。先のSay a Little Prayerはン日で1万枚(記憶飛んだ)に対して過酷な条件であった。はず?
しかも初日が大阪。これは行くしかないと思いました。で、行ったら心斎橋の次の駅まで並んでいました・・・買えるのかな・・・私が並んだところは1万人目越えていたと思います。しかし並びました。6時間ぐらいですかな、何とか買えたわけです。1000円のつもりが500円だったので思わず2枚買ってしまいました。その時飯田さんは写真を渡してくれたことははっきり覚えていますなあ。福田さんに握手をせまりました。(握手券なのに誰一人握手してないんだ。これが。)
その後は名古屋も行こうと思いましたが、結局新宿を残して「愛の種」が完売してデビューが決まった。時は1997年11の月30日!!(カン!)
(新宿は行ったんです。TPDの関連だと思います。)新宿で完売していたら娘。の誕生日は同じだったのです。(12月7日)名前はナインティナインの矢部さんが「。」をつけたエピソードもある「モーニング娘。」に。これが今平然と口に出来る名前となるのは誰が思っただろう?
そんなわけで、メジャーデビュー曲「モーニングコーヒー」の発売が決まるわけだが、続きは明日の講釈。
 
これで思ったのは飯田さんから福田さんの実力に目が行ったということですな。
当時はアイドル視してませんでしたから。(TPDもアイドル視していませんでした。)
やっぱ今の娘。に無いものがここにはありましたね。というとこでしめっ。